経済思想

【経済学の歴史】経済思想とは?わかりやすく解説。古典派から新古典派・ケインズ派・マルクスの流れのを総まとめ。

ところが、経済学は時代と共に変わってきたという事実があります。それの変化を言語化したのが経済学史です。

また、その経済学の変遷をもたらす要因には、時代時代に登場する経済学者の熱い思想がありました。それが経済思想です。

この記事では、この経済学史と経済思想の流れをイラストで解説します。

この記事で得られること
  • 経済思想の流れを把握できる
  • 時代ごとの経済の捉え方の違いから経済学の理解を深められる
経済学の歴史の記事一覧

経済思想とは?大枠の流れを解説

ここでは、経済思想についての大まかな流れを解説します。

経済思想とは?

経済思想とは、経済理論や経済政策の基礎にある考え方です。経済学の最も基本となる概念であると言えます。

簡単にいうと、経済を良くするための考え方と言って良いでしょう。これらが経済学の時代ごとの考え方を変えることになるのです。

各時代の経済学者たちは常に人々の幸福を実現するための手段として、経済学に取り組んでいたのです。

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経済思想とは経済を良くするための考え方と言って良いでしょう。これらが経済学の時代ごとの考え方を変えることになるのです。

こちらの動画も経済思想についてわかりやすく解説しているので併せて見てみてください。

経済思想の大まかな流れ

経済学はアダム・スミスによって生み出されます。彼は市場に絶大な信頼を寄せており、自由に人々が経済活動をしていればよいと考えていました。

しかし、この考えは、19世紀頃からの資本主義の弊害によって疑問視されるようになりました。そこで現れたのがマルクス主義ケインズ経済学です。

マルクスは、資本主義自体の否定をし共産主義を目指すべきとしました。一方で、資本主義の悪いところを修正しながら、経済を前に進めていくべきと考えたのがケインズです。

しかし、マルクスもケインズの考え方は、20世紀後半に翳りが見えてきます。(詳細は以下で解説します)。この中で、現在は全世界ともに資本主義が現時点で最高の社会体制であるという流れに傾きつつあります。この結果生み出されたのが新自由主義なのです。

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経済思想とは経済を良くするための考え方と言って良いでしょう。これらが経済学の時代ごとの考え方を変えることになるのです。

では、以下ではそれぞれの思想について細かくみて行きましょう。

経済学の始まり

経済学は、アダムスミスという人物によって始められました。彼は、近代経済学の父と言われています

彼の思想をもとに、のちの経済学理論は組み立てられていったと言っても過言ではないでしょう。

時代背景

アダム・スミスが生きていた当時のヨーロッパは

  • 重商主義の支配
  • 産業資本主義の進展

という時代状況でした。

重商主義とは、政府が貿易を管理する経済体制のことを指します。民間の自由な商売を規制でがんじがらめにしてるような政策のことです。その結果、国内の産業は荒廃し国民は窮乏に晒されます。

重商主義

 一方で、イギリスでは産業革命が起こっていました。当時は技術の発達がめざましく、民間の活力によってイギリスは大きく経済発展をしていました。これにより産業資本主義が勃興しているような時代でした。

引用;
https://media.moneyforward.com/articles/709

スミスは民間の旺盛な活力の結果、生み出される経済発展から民間の力に可能性を感じていました。一方で、重商主義という政府が市場に対して口を出す政策に対して批判的に見るようになったのです。

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  • 民間の旺盛な活力の結果、生み出される経済発展から民間の力に可能性を感じていました。
  • 重商主義という政府が市場に対して口を出す政策に対して批判的に見るようになったのです。

スミスの思想

このように、富である生産物を増やすために、分業をすることで加速度的に富が増え、市場規模が拡大します。市場規模が拡大すれば人口も増え、労働力が増加してより多くの富を生み出すことが可能となるのです。

分業によって人口増加と生産物の増加のループが起こるのです。

ここから、富を拡大するために人々は利己的に商売をしても、大きなが全体にもたらされることがわかると思います。これが神の見えざる手です。

神の見えざる手
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神の見えざる手:富を拡大するために人々は利己的に商売をしても、大きなが全体にもたらされる一連のプロセス

彼の神の見えざる手という考え方は、リカードなどの経済学者にも受け継がれることになりました。

新古典派経済学

アダムスミスから生まれた古典派経済学は、科学性に乏しいものでした。ここで、限界革命から始まる新古典派の経済学者たちは数字を軸にした科学的な経済学(新古典派経済学)を確立して行きます。

限界革命

限界革命とは、限界効用から、マーシャルの需要と供給の均衡理論に終わる理論上の革新のことを指します。レオン・ワルラスウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズカール・メンガーの3人が革命の立役者でした。

限界効用以前の経済学と限界革命以降の経済学の違いには、モノの価値の定義の違いにあります。

限界革命以前のアダム・スミスに始まる古典派経済学は、労働価値説を主軸に置いていました。労働価値説とは商品の価値は労働力によって決まると言う考えのことです。

限界革命以降は、効用をモノの価値の主軸に置く効用理論が主流になります。効用とは、財・サービスを消費した際の満足度のことです。

この前提をもとに現在の経済学の理論の基礎となる限界効用理論が確立します。この流れは新古典派誕生の瞬間と言えます。

限界効用逓減の法則
CHECK
  • 限界革命以降は、効用をモノの価値の主軸に置く効用理論が主流になります
  • 経済学の理論の基礎となる限界効用理論が確立します。

新古典派の完成

アルフレッド・マーシャルは限界革命トリオが生み出した理論をさらに精緻化し、経済学の精緻化を始めました。

古典派は、市場は神の見えざる手が働いて均衡するとします。しかし、マーシャルにとって自由放任主義的な希望的観測論は理解しがたいものだったのです。そこで、彼は

  • 完全雇用などのような目的を達成するために政策主導の考えを取り入れた経済学
  • 経済の動きをより科学的に分析する学問としての経済学

への転換を目指しました。

古典派と新古典派

その結果、需要供給曲線や価格弾力性などの基礎理論を打ち出しまし、新古典派経済学の土台を作りあげました。あの有名な需要供給の理論を精緻化したのはマーシャルだったのです。

需要供給曲線
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マーシャルの目指した経済学

  • 完全雇用などのような目的を達成するために政策主導の考えを取り入れた経済学
  • 経済の動きをより科学的に分析する学問としての経済学

マルクス経済学

時代背景

マルクスの生きた時代は資本主義の弊害が出ていた時代です。

近年の研究では、

  • 世帯全体の実質所得が減少した可能性がある
  • 年間労働時間は長時間労働であった(年間3356時間もあったと言われている)。

ということが明らかにされています。

結論として、産業革命は最終的には豊かな生活を享受するのに貢献しました。しかし、1850年までを見た場合、生活水準は全く向上していないのです。

こうした中で、貧富の格差は拡大どんどん拡大して行きました。

カール・マルクス

マルクスは友人のエンゲルスと共に革命の必要性を主張し1848年に『共産党革命』を執筆します。1849年には死ぬまで暮らすことになるロンドンに亡命します。この地で、『資本論』の執筆を開始します。

資本主義への批判

また、マルクスは、資本主義に対して批判を加えました。

その根拠となったのは剰余価値という考え方ですす。剰余価値とは、資本家側が労働者を必要以上に働かせて搾取している価値のことを指します。

工場経営者は、自分の工場を経営するために費用を賄うために労働者を働かせています。しかしマルクスは、資本家は、費用を賄うのに必要な時間以上に労働者を働かせているとしています。

この必要以上に働いた時間で生み出された価値を剰余価値というのです。

この必要以上に働かせた時間は、労働者には賃金として支払われません。労働者には生きるのに最低限度の賃金しか支払われないのです。

そして、剰余価値は資本家の利潤として搾取されているのです。

CHECK

剰余価値:資本家側が労働者を必要以上に働かせて搾取している価値のことを指します。

共産主義

共産主義は、私有財産制を否定して財産を共同所有するような社会を目指す考え方です。

資本主義社会の特徴として、ブルジョワジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の階級対立があります。

これは、ブルジョアが財産の所有を独占し労働者から搾取していることが要因です。そこで、ブルジョアによる所有を、労働者が奪取すること目指します。

これにより階級対立は解消し、労働者にとってのユートピアとなるような共産主義社会を形成されるとしました。

共産主義
CHECK
  • 共産主義は、私有財産制を否定して財産を共同所有するような社会を目指す考え方
  • ブルジョアが財産の所有を独占し労働者から搾取していることが要因

社会主義国家の誕生

ソビエト連邦では、中央計画経済体制が敷かれました。この中で、ソビエトは単独講和を行い、戦線からの離脱をしました。

レーニンの死後の共産党政権は、革命翌日に土地に関する布告によって地主から土地を収奪し、農民に分配しました。1921年に新経済政策(ネップ)によって一時は余剰作物の自由販売が認められました。

しかし、1927年に農業集団化が進み、農民は共産党政権傘下のコルホーズの中に組み込まれていきました。

コルホーズ
コルホーズ

コルホーズでは農民に作物の洗濯は認めさせず、トラクターなどの近代的農業機械は国営企業の機械トラクターステーション(MTS)に集中されました。この企業を中心にコルホーズを統制したのです。

CHECK
  • ソビエト連邦では、中央計画経済体制が敷かれる
  • コルホーズなどの制度で、中央集権化を進める

ケインズ経済学:修正資本主義

ケインズ派経済学は現在のミクロ経済学の基礎となる考え方です。これまでアダムスミス的な神の見えざる手を基調とする経済学に対して批判を加えたのです。

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彼は政府の経済への積極的な介入を求めました。これをのちに修正資本主義というふうに呼びます。

時代背景

ケインズ経済学が生まれるきっかけとなったのは、1930年代の世界恐慌です。この時、街は多くの失業者で溢れかえり、全財産を失い自殺するものもいました。

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世界恐慌

この経済問題の処方箋として書かれたのが『雇用、利子および貨幣の一般理論』です。この本はこれまでの経済学の考え方を一変させました

主流派の古典派経済学

ケインズ以前までの主流の考え方は、古典派経済学が主張する均衡財政でした。

古典派経済学は、市場が自動調整機能を持っているため政府は介入すべきでないとの立場に立っていました。

そこで彼らは均衡財政を主張しました。均衡財政とは、税収の範囲内でしか経済政策を行わないことを指します。

そのため、1930年代の恐慌による失業も一時的なもので、長期的に見れば雇用可能な人口は社会の中で効率的に利用されるため、結果として失業は起こらないとしていました。

ケインズの思想

ケインズは、政府の介入を主張しました。なぜなら、市場の自動調整機能による完全雇用は達成されないと考えていたからです。

現実には別の仕事に転職するまでの合間にいる人、求職中の人、働けない人、働く意思のない人といった失業者が存在します。

他にも賃金には非伸縮的な性質を持っていることをケインズは指摘しています。経済状態が変化していても、賃金の変化が追いつかない場合があります。例えば、景気がどんなに悪くても、労働組合が賃下げを拒否する場合があげられます。

これらのことから市場の自動調整機能による完全雇用は実現しないと考えたのです。

長期的に見ればいつかは均衡するかもしれません。しかし、何百万人もの人が犠牲になるのを見逃すわけには行かないのです。そこで、ケインズは政府による介入を主張したのです。

混合経済と計画化:マクロ政策

ケインズの思想は、第二次世界大戦後の経済に大いに組み込まれることになりました。

その具体例が混合経済です。自由放任の資本主義の欠陥を除くために国家が介入する経済体制が望まれたのです。背景にはケインズ経済学と近い政策の重要性を官僚たちが自覚していったことが挙げられます。

こうした中で、西ヨーロッパでは、国内総生産(GDP)への政府支出の割合が大幅に拡大しました。1950年代には30%から40%、70年代には50%を超える国も現れました。

CHECK
  • ヨーロッパのキャッチアップには各国政府が完全雇用と経済成長を積極的に追求したことが挙げられます。
  • 混合経済という自由放任の資本主義の欠陥を除くために相当程度国家が介入する経済体制
  • 西ヨーロッパでは、国内総生産(GDP)への政府支出の割合が大幅に拡大しました。

新自由主義

ケインズ経済学の思想は、行政組織の肥大化や財政赤字の拡大を生み出しました。また、同時期に社会主義国家などの崩壊が起こり、アダムスミスの復権ともいうべき自体が起こりました。

この時の思想が新自由主義と言われる思想です。

社会主義国家の崩壊

1989年頃から社会主義体制は崩壊をしていくようになります。こうした中でソビエト連邦の領土はロシア共和国が継承することになります。

これにより、社会主義の主要国ソ連が崩壊したことで、世界人口50億人のうち、10億人程度が市場経済に参加していたと言われていますが、

ケインズ的経済政策への批判

ケインズ経済政策への批判の火付け役となったのがマーガレットサッチャーです。財政赤字の拡大から、既存のケインズ的な政治勢力の駆逐が始まりました。

1979年の総選挙でマーガレット・サッチャー党首の保守党が勝利し、小さい政府を実現すると言う公約を掲げます。鉄の女と言われた人物です。

財政難の解消のためとして公共事業の削減と民営化(規制緩和)を進め、福祉事業や社会保障を次々と削減し、労働党とその支持母体の労働組合を攻撃しました。強硬な姿勢は保守層だけでなく大衆に支持されました。

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マーガレット・サッチャー

新自由主義の登場

こうした流れの中で、経済学に台頭してきたのが新自由主義です。

新自由主義とは政府の役割を最小限にとどめ市場原理に任せることを主張する思想のことです。

アダム・スミスの自由放任主義の延長線上にある考え方です。市場原理による自動調整メカニズムの信頼が前提にあります。

基本的に政府の規制や利権は撤廃する方向の政策をとります。政府が関わるのは軍事や警察などに限定されます。

このような小さな政府であっても、市場メカニズムが働いて経済を安定させることができると考えていました。

新自由主義者はハイエクだけでなく、ミルトンフリードマンという経済学者や師匠のミーゼスなどが挙げられます。

彼らの思想は、オーストリア学派と呼ばれる思想の潮流の中にありました。特に、ミーゼスを師匠として、ハイエクやフリードマンらの新自由主義者が生み出されることになったのです。

さいごに

いかがでしたでしょうか?ここでは新自由主義までの解説で終わりました。

しかし、リーマンショックなどを経て新自由主義への批判的な動きも見られています。さらにケインズ経済学へ再びスポットライトがあたろうとしている動きも見られます。

今後、経済学ひいては経済がどうなっていくのかを知るには、経済思想が非常に重要と言わざるを得ません。

もし、さらに経済思想に対して興味が湧いたなら、以下の書籍をお勧めします。

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