ポスト構造主義と言われる哲学の潮流の代表格であるミシェル・フーコー。彼は、権力と知識の関係性とそれが社会に与える影響を明らかにした哲学者です。彼の研究結果は、哲学以外の学問領域にも影響を与えました。
この記事ではミシェル・フーコーその人と、彼の「認識」、「狂気」、「権力」に対する分析についてわかりやすく解説していきます。最後までお付き合いいただければと思います。
フーコーとは?
ミシェル・フーコー(Michel Foucault:1926年10月15日 – 1984年6月25日)は、フランスの哲学者です。ポスト構造主義者の代表格でもあります。
1926年、フーコーはフランスのポアティエで上流階級の家庭にフーコーは生まれました。ルイ・アルチュセールを指導教官として、パリ大学(ソルボンヌ大学)において哲学と心理学の学位を取得しました。
その後、「狂気の歴史」(1961年)や、『臨床医学の誕生』(1963年)、『言葉と物』(1966年)を発表し、フランス国内で知名度を獲得していきました。これらのフーコーの研究の方法論(考古学)は、歴史事実から理論を抽出するものでした。こうした内容をフーコーは、『知の考古学』(1969年)という書籍にまとめました。
その後、『監獄の誕生』(1975年)、『性の歴史』(1976年)を通して、権力と主体の関係性についての分析深めていきました。しかし、1984年にフーコーはエイズを罹患し帰らぬ人となりました。
フーコーの思想:知の考古学
主体と権力の関係性
フーコーは、常に「主体」を研究対象にしていました。そして主体を「権力との関係」から分析した哲学者です。主体は、「主体的に動く」というポジティブな意味ともネガティブな意味を持つ二重性を持ったものとして取り扱っています。
一方で、主体はsubjectと訳す事ができます。subjectは、「従属する」等の意味ネガティブな意味があり、重ね合わせていたのです。フーコーは、主体という一見ポジティブな言葉の背後には常に「権力」というものが潜んでいると考えていたのです。
歴史的な方法論:考古学
さらにその際に、フーコーは歴史から時系列的に研究対象(アルシーブ)とその変遷を分析しました。そこから、主体の中に潜む権力を見出したのです。こうした手法を「考古学」と言います。
例えば、博物学や精神医学や経済学といった学問が、なぜひとつの統一性をもった「言説」(≒知/権力)として成立しているのかを、歴史的に明らかにしたのです。
歴史的に見て、権力と知識は常に密接に結びついているとしています。我々が「真理」と思っている事は実は、権力によって作り出されたものであるというのです。「知≒言説」は、権力側が生成し制御をするものです。
こうした点を歴史的な資料や制度を通して、時系列的に「知識」と言われるものの変遷を明らかにするのです。これは、のちに解説する『狂気の歴史』(1961年)や『言葉と物』(1966年)も考古学的な手法をとった著作です。
「異常」の相対化:『狂気の歴史』
フーコーの第一の著作として『狂気の歴史』があります。この著作は、社会に存在する「異常」と「正常」の区分が歴史的にどのように生み出されたのかを明らかにした著作です。特に、その「異常」とみなされる「狂気」が社会の中でどのように取り扱われたのかを論じました。
シェル・フーコーの著書『狂気の歴史』では、狂気の概念とその社会的・文化的変遷を時代区分ごとに論じています。以下に、フーコーが提唱した狂気の歴史の変遷を時代区分ごとに整理します。
中世の社会:ルネッサンス期
中世の社会では、狂気は神聖視される場合もありました。狂気は一種の神託として受け入れられ、狂気の人々は聖者や予言者として尊敬されることもありました。
この時代では、狂気は異常や社会的な排除の対象ではなく、神秘的な力や超自然の存在と結びついていました。
古典主義時代
近代初期になると、狂気は異常や社会的な問題として捉えられるようになります。フーコーは、17世紀から18世紀にかけての時代において、狂気の受容と排除が並行して行われていたと指摘しています。
狂気は治療や隔離の対象となり、狂気の人々は病院や施設に収容されるようになりました。
近代
近代社会においては、狂気は医学的な問題として取り扱われるようになります。19世紀から20世紀にかけての時代には、精神医学の発展と共に狂気の診断と治療が進展しました。
狂気は精神疾患や障害とされ、医学的な分析と治療の対象となりました。狂気の人々は、社会からの排除や統制の対象とされました。
思考の枠組み(エピスメーテー):『言葉と物』
シェル・フーコーの著書『言葉と物』では、フーコーはエピスメーテー(épistémè)の変遷を時代区分ごとに論じています。
エピスメーテーとは、特定の時代や文化における支配的な知識の形態や知識体系を指し、それによって言語や思考の構造も形成されるという考え方です。思考の「枠組み」に近い考え方です。
以下に、フーコーが提唱した『言葉と物』におけるエピスメーテーの変遷を時代区分ごとに整理します。
ルネッサンスのエピステーメー(~16世紀)「類似」
ルネッサンス期における特有の思考枠組みは「類似」に立脚しているとフーコーは言います。事物と事物を「類似」という観点から関係付け、世界を秩序立てる思考のあり方です。言葉と物がまだ分離していない状態です。
例えば、脳みそと類似したクルミが頭部の病気に効くとされたり、占星術のように天体の秩序と人間の秩序を見出すような知のあり方のことです。天井の木目から人の顔を見つけ出すのに近い考え方です。
しかし、類似というものには限界がないため、無限に類似の関係性が広がることになあり、体系化されない知の形式であると言えるでしょう。
古典主義時代のエピステーメー(17世紀から18世紀)「表象」
17世紀古典主義の時代になると、この類似のエピステーメーが崩れだし、転換点を迎えます。この時代のエピスメーテーが「表象」であると言います。言葉と物が分離しだす時代です。
それはデカルトやベーコンに代表される、合理的で科学的な思考から生み出されるものです。見えるものの間での、「比較(相違性と同一性)」に知の基準が転換します。
類似の時代において、同列であった言葉と物が分離独立し、西洋思想が大きく変化していきます。表象の時代では、比較を知の基準になるためタブロー(表)の空間において秩序が作り出されることになります。フーコーはこの時代のエピスメーテーを解明するにあたり重要になる三つの学問領域を列挙しています。
富の学問では貨幣に対する認識が変わります。類似の時代までは、貨幣自体に価値があると考えられてきました。しかし、表彰の時代では、貨幣は金という実在を離れ、富を分析するための表象となり、流通と交換という体系の上に設定されたものとなります。
近代のエピステーメー(19世紀以降)「人間」
近代になると、表彰の時代で分離した言葉と物の間に「人間」が入り込んできます。近代は「人間」のエピスメーテーの時代であると言われています。フーコーは「人間」が近代になって生み出された概念であると同時に主張します。
「人間」がエピスメーテーになった理由は、見えるもの(=表象)だけでなく、そもそも事物を見てる「人間」という存在に対しても考察の対象が及んでいくからです。
前項において挙げた人文社会科学の中心である三つの学問(博物学、一般文法、富の理論)にも、この人間のエピステーメーなるものの要素が入り込み、近代的な学問として成立していきます。
貨幣を交換の記号として取り扱う富の理論は、「労働」の概念が導入されることで近代経済学へと刷新されました。アダムスミスやリカードに代表される労働価値説がそれにあたります。労働力の価値が
新しいエピステーメー:「人間の解体」
しかし、フーコーは近代的な「人間」のエピステーメーも終わりを迎えると主張しています。
現代の構造言語学や精神分析、文化人類学などの学問が、人間という概念や主体という幻想の解体を目指すものであるとフーコーは主張します。「人間」というエピスメーテーは、「波打ち際の砂に描かれた顔のように消え去る」のです。
規律訓練と生-政治:『監獄の誕生』『性の歴史』
ミシェルフーコーの権力論についてここでは解説していきます。権力というと一見、「王様」や「貴族」、「国家」というようにある特定の悪い組織や個人が想定されるでしょう。
しかし、フーコーは『監獄の誕生』や『性の歴史』第一巻を通して、権力や統治は上から押し付けられるだけでなく、下からも支える構造があり「無数の力関係」によって成立していることを明らかにします。
また、フーコーは権力の統治形式も時代毎によって3つに分けられると主張しており、それぞれの時代毎の権力の特質に関して整理してみました。
王権時代の権力
そもそも、フーコーは近代化以前の権力のあり方は、その都度都度に罰を与えるというあり方であると考えました。つまり、統治が体系化されておらず、アドホック(その都度)の対処となっていました。
つまり、バレなければよかったのです。そのため、見えないところに逸脱の可能性が広がっていました。
規律訓練(近代:17〜18世紀)
規律訓練とは、個人や社会の行動と身体を管理・統制する権力の形態です。簡単にいうと、人々が誰かに見られなくても自分で進んで悪いことをしない人間を生み出す統治形態のことです
フーコーは、『監獄の誕生』においてパノプティコンという監獄システムを例に規律訓練を説明します。囚人が収監される監獄が円状に、塔を囲む形の設計になっています。ただ、塔の中に人がいるかは囚人側からはわかりません。囚人は常に塔の中にいる看守に常に監視されているという意識を埋め込まれるのです。
ここからわかる規律訓練の本質は「支配者が不可視化される」という点です。これによりみんな「良い子」でいようと飼い慣らされるのです。これは近代の制度として、学校、軍隊、工場にも適用されていきます。
個々の身体や行動を監視・規制することによって、社会秩序を維持し、効率的な権力の行使を可能にします。個人の行動や身体は規則や監視によって正規化され、社会的な規範に合致するように調整されます。
生-政治(現代:19世紀〜)
個人に働きかけるのが規律訓練という統治形態だとしたら、18世紀以降からはもっと大規模支配を効率的に行えるようになりました。それが、生-政治と言われる統治形態です。
生政治とは、人間の生命や集団の生活を対象とする権力の形態です。生政治は、人口、健康、疾病、生殖、生活環境などの生命の領域を政治の対象とし、それを支配・管理する権力を指します。
生政治は社会全体の生命の管理に関与し、生命そのものを権力の対象として統治することを特徴とします。
生政治は個々の身体や行動を規律訓練するだけでなく、集団全体の生命や生存条件をコントロールし、生活の質や生活態度を規定します。具体的な形態として、公衆衛生政策、人口統計、人種政策、社会保障などが挙げられます。
現在
現在は、規律訓練と生政治の両方が車の両輪のように組み合わさって統治が行われているとかんんが得て良いでしょう。
フーコーの統治と抵抗
これまで、フーコーの理論を見てきましたが、これだけを見ているとあまりにも救いがありません。我々はただひたすらに「権力」に絡め取られながら生きてくしかないようにも思われます。
しかし、フーコーは死後に創刊された『性の歴史:自己への配慮』を通して、古代人の自己との関わり方「自己への配慮」を生政治や規律訓練のような権力を乗り越えるヒントとして提示しています。
生-政治や規律訓練では、「やってはいけない」ことが体系化されています。一方で古代は、「やってはいけないこと」は個別具体的なことでしかありませんでした。その、やってはいけないことに対してその都度その都度、適宜注意を払っていくだけでした。
ただ、自分本位に自分自身に対してマテリアルに関わることで、生-政治への抵抗としようとしたのです。
さいごに
この記事では、ミシェルフーコーについて解説してきました。ミシェルフーコーの理論についてまとめると以下のようになります。
- 考古学という歴史的変遷をたどりながら自明とされてきた事柄を相対化した哲学者
- 狂気が近代において、排除の対象となり医学的な治療を通して統制の対象となった
- 歴史的にエピスメーテー(思考の枠組み)は時代と共に変遷をしていった