イマヌエル=カントはドイツ観念論という哲学の潮流を生み出した偉大な哲学者です。彼の著作には『純粋理性批判』などがあり、感性-悟性-理性という人間の認識の構造を明らかにしました。
彼の哲学は、のちのシェリングやヘーゲルなどにも受け継がれ、現代の哲学においても色褪せず議論の対象となっている哲学者です。
そこで、この記事ではカントその人と、彼の思想が凝縮された『純粋理性批判』についてわかりやすく解説していきます。最後までお付き合いいただければと思います。
カントの生涯
イマヌエル・カントは1724年、東プロイセンの首都ケーニヒスベルクで馬具職人の第四子として生まれました。
1740年にケーニヒスベルク大学に入学しました。七年戦争などのヨーロッパの動乱によって教授職への就任ができない状況でした。1746年には父の死去とともに大学を去ることになり、家庭教師をして生計を立てていました。
最終的には、1770年3月、46歳の時に、ケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学正教授に任命されています。その後、カントは三批判書と総称される書籍を次々に出版します。それが以下の3つです。
『純粋理性批判』は認識論に関する批判書であり、『実践理性批判』は倫理、『判断力批判』では自然学に対する批判が行われました。
三つの書物は、慣例として「三批判書」と総称され、それぞれ『第一批判』、『第二批判』、『第三批判』と称されます。
カントの思想の背景
経験主義と大陸合理論
カントの思想を理解する上で、18世紀後期の当時に大陸合理論とイギリス合理論という思想が対立していました。
大陸合理論は、デカルト、スピノザ、ライプニッツなどの人物がいます。彼らは、神が人間に等しく分け与えた理性を使うことで、真理に辿り着くとと考えます。これは、神が照らす光を通して人は、世界を理解できるという神ありきの考えです。
イギリス経験論は、ロック、バークリー、ヒュームなどの人物がいます。経験や感覚、観察、実験に対して絶対的な信頼を置いています。絶対的な心理を見つけ出すことは不可能との立場にあります。
例えば、神様は存在すると思っている国の人がいたとしても、神様という言葉すら知らない別の国の人にとっては知りもしないことです。絶対的真理には辿り着かないという立場に至るのです。
カントの思想:感性と理性の統合
カントは、これらの大陸合理論とイギリス経験論に対してどちらに対しても批判的な立場にあります。これらを統合するような理論を打ち立てたのがカント哲学です。
カントは、合理論に対する批判として、認識の可能性や本質、限界についての考察を欠き、ただ認識能力を信じて知識の無限の妥当性を主張する傾向があり、独断論であるとカントは批判します。
一方、経験論は経験や感覚に主眼を置くため、普遍的な理論の存在に対して否定的でした。そこでカントは、懐疑論と名付けます。これら二つの批判から二つの理論を融合して生み出された理論が以下で解説する『純粋理性批判』です。
カントの思想:『純粋理性批判』
大陸合理論であれば、感性に対して偏りすぎており、イギリス経験論は理性に対して信頼を起きすぎているというのがカントの批判でした。この批判を元に書かれたのが『純粋理性批判』です。この本は、以下のような目的もとで執筆されました。
人間理性の自己批判によって、人間理性が有効な範囲と、人間理性が及ばない範囲を明らかにする
叡智界と現象界
まず、これまでの哲学では「叡智界」と「現象界」の二項対立をカントは提示します。叡智界とは「物自体が存在する世界のことで、現象界とは、我々が認識できる範囲の世界のことを指します。
前提として人間は、叡智界の「物自体」を直接認識することができないと言います。その代わりに、現象界という人間の経験の中で現れる世界を認識していると考えました。
これは私たちにも経験的にわかることですが、目の前にある馬が「馬」であると思うのは、あくまで認識の中での話です。認識を飛び越えて「馬」という「物自体」を知覚することはできないのです。
人間の認識能力:感性-悟性-理性
カントは人間が現象界を認識する構造を『純粋理性批判』の中で整理しました。人間の認識のあり方において以下の3つがあるとします。
- 感性
- 悟性
- 理性
まず、我々は対象を直観することで表象を受け取ります。これをカントは感性と言います。ここでは、対象ただ受容されるだけで積極的な意味は付与されません。感性には、時間や空間という枠組みがあり、それにより生み出される直観がアプリオリに存在するとします。
人間は悟性を通して対象に対して純粋概念(カテゴリー)を自発的に付与するようになります。カテゴリーには原因と結果、実体と属性、実体に属する性質などがあります。この純粋概念に基づいて判断を下します。
さらに進んで理性を通して、諸悟性規則を原理のもとへと統一する能力となって現れます。理性という能力に基づいて推論を行い、理念を作り出していきます。
コペルニクス的転回
このように、経験論と合理論間で行われていた感性と理性どちらが正しい、という議論がカントの登場終わりを迎えました。
彼の『純粋理性批判』がコペルニクス的転回と言われる理由は、これまで「われわれの認識が対象に従う」のではなく、「対象がわれわれの認識に従わなければならない」とする考え方が画期的だったからです
そして、カント以降、客観的妥当性を持つ対象(Object)とは、「物自体」ではなく、認識能力によって規定された「現象」と見なされるようになったのです。
古典的理性主義から啓蒙的理性主義へ
カントの哲学は、イギリス経験論と大陸合理論の統合批判によって完成しました。彼の哲学はその後の後継の哲学理論に大きな影響を与えました。また、カント以降の哲学の潮流をドイツ観念論と言います。
ドイツ観念論は、フィヒテやシェリングなどの哲学者を経て、ヘーゲルの弁証法哲学によって完成されました。
さいごに
彼の哲学は、のちのシェリングやヘーゲルなどにも受け継がれ、現代の哲学においても色褪せず議論の対象となっている哲学者です。
そこで、この記事ではカントその人と、彼の思想が凝縮された『純粋理性批判』についてわかりやすく解説していきました。
カントは、近代以降の哲学理論の基礎を作った人物とも言える人物です。また、哲学から神という存在を消した人物でもあります。