この記事では産業革命による社会の工業化が進んだ18世紀前半から19世紀前半にかけてを解説します。
産業革命は主にイギリスで進展しました。製鉄業や綿業、蒸気機関などの領域で技術革新が起こりました。
また、この記事は以下の書籍をもとに書いた記事になります。非常に西洋経済史の基礎的な部分を解説したものになります。合わせてお読みください。
2つの産業革命の外観
プロト工業化から産業革命へ
近世のヨーロッパ各地域では人口動態、市場、産業構造などの多方面にわたり、長期間のゆっくりとした社会経済の変化が生じました。
このへんかをプロト工業化と言います。プロト工業化とは農村部を中心に手工業生産の拡大が産業革命以前の17世紀〜19世紀初頭にかけて起こったとする考え方です。
プロト工業化による手工業的な繊維業は、新発明や工場と初めて結びつくことで産業革命が起こったのです。イギリスからヨーロッパ諸国への工業化の電波が起こりました。
国民経済を結ぶルールが整備されるようになった。例えば国際通貨体制である国際金本位制などはその例です。
産業革命の社会的帰結
産業革命による生活水準は上がったのでしょうか?
近年の研究では、
- 世帯全体の実質所得が減少した可能性がある
- 年間労働時間は長時間労働であった(年間3356時間もあったと言われている)。
ということがハンスヨアヒムによって明らかにされています。また、乳児死亡率が1830年から五十年かけて悪化していることも明らかになっています。これは、都市が不潔、不健康さが原因になります。
結論として、産業革命は最終的には豊かな生活を享受するのに貢献しました。しかし、1850年までを見た場合、生活水準は全く向上していないのです。
産業革命の背景
産業革命は主にイギリスで起こりました。その背景には
- 三角貿易による富野蓄積
- 農村人口の都市への流出
- マニュファクチュアの成立
- 大西洋の制海権を掌握
したことが挙げられます。それぞれ解説していきます。
三角貿易による富の蓄積
17世紀にヨーロッパは多くのヨーロッパ領域外を植民地にしました。これにより西洋諸国は多くの富を手に入れました。
特にイギリスは三角貿易によって多くの富を手に入れ、これが産業革命に繋がったという見方もあります。
三角貿易とは、アメリカ大陸とアフリカ大陸、イギリスの間で行われた取引のことを指します。
具体的には、ヨーロッパの人々はアフリカに武器を輸出します。対して、アフリカ沿岸を支配する王族たちは、買った武器で周辺部族と戦います。
ここで生まれた負けた部族の奴隷がアメリカ大陸に輸出されます。そして、奴隷たちはヨーロッパ人が経営する農園で働かされます。
この農園で生産された砂糖や木綿、タバコがヨーロッパに輸出されます。これを三角貿易と言います。
三角貿易はヨーロッパに大量の物資や金銀をもたらしました。その結果、貿易の中心は地中海から大西洋沿岸に移りイギリスがヨーロッパの覇権の一部を握るようになります
毛織物産業の発達と囲い込み運動
イギリスは中世から近世初期にかけて、羊毛製産地であったこともあり、毛織物産業が主要産業へと成長を遂げます。16世紀以後は、アメリカ大陸へ毛織物が輸出されます。
そのため、多くの毛織物を供給する必要がでてきます。
そのため、ジェントルマン(イギリスの地主)は、これまで農地だったのを牧羊地に変えていきます。そこで起こったのが囲い込み運動です。囲い込み運動では農民たちが農地から追い出されました。土地を失った農民は、出稼ぎのため都市へと流出するようになります。
都市の労働力が増大したことが、産業革命を起こす要因になりました。
マニュファクチュア(工場制手工業)の成立
羊毛が多く生産されるようになると、これを毛織物への加工が間に合わなくなります。そこで作り出された形態がマニュファクチュア(工場制手工業)です。
マニュファクチュアは、資本家が工場を建て、労働者を雇用します。この工場内で労働者が分業をして生産をこなします。分業により多くの製品を製造することができたのです。
マニュファクチュアでは、機械化されておらず手作業がほとんどでした。しかし、この分業による生産方法は産業革命にも引き継がれ引き継がれルことになります。
イギリスの強大化と海外市場の拡大
16世紀後半のイギリス女王エリザベス1世の時代は、ゴールデンエイジと呼ばれるように、イギリスが大西洋で大きな力を持つようになった時代です。
エリザベス王女は、スペインの制海権を弱らせるために、私掠船に艦隊を襲撃させました。私掠船とは、国が一部の個人や団体に外国の船を略奪することを許可した船のことです。要は海賊ですね。
このイギリスの立ち振る舞いにしびれを切らしたスペインのフェリペ二世はスペイン無敵艦隊をイングランドに侵攻させます(アルマダの海戦)。対するイギリスは1588年、スペインの無敵艦隊を打ち破りました
17世紀のピューリタン革命後、クロムウェルがオランダ商業を排撃したことで起こった英蘭戦争で、オランダに勝利しました。その後、アメリカ大陸の植民地戦争でも勝利したイギリスは名実ともに大西洋の覇者となります。
こうした動きはイギリスの富を蓄積させ、産業革命を起こすきっかけとなったのです。
イギリスから始まった産業革命と技術革新
ここでは、イギリスにおける産業革命に0いて、重要な技術革新が起こった3つの分野について解説します。それが
- 綿業
- 製鉄業
- 蒸気機関
です。またこれらの技術革新の様相を解説したのちに、繁栄した地域について解説をしていきます。
綿業の技術革新
“ヨーロッパの伝統的な服飾素材は亜麻や羊毛でした。イギリスでは毛織物が盛んでした。
産業革命期間には
- 羊毛から綿に素材が変化
- 紡糸工程と織布工程で大規模な機械化が進展
しました。
インド産の綿布
綿布はインド原産が主でした。17世紀を通じてイギリスは海軍国としてヨーロッパ最強になっていため、イギリス商人が直接綿布を入手できるようになっていました。また、この時期は綿花から加工された綿布を輸入していました。
この流れの中で、綿業は技術革新が起こります。そして、自国で綿布を作成することができるようになりました。
綿業の技術革新
その前に一旦、綿業から生産工程を確認しておきましょう。
綿の洗浄工程→繊維を揃える梳毛工程→紡いで糸にする紡糸工程→布に折り上げる織布工程→布の毛羽を取り除く煎毛工程→染色工程
といういくつもの工程から成立しています。これにより完成した布地が仕立て屋によって衣服になっていきます。
技術革新は、まず織布工程から起こります。ジョンケイの飛び杼です。これは織布工程の経糸を通すスピードを格段にアップさせまた。
しかし、飛び杼の生産のスピードアップで、糸の供給が不足するようになリマス。そこでジェニー紡績機が発明されました。これは紡糸工程のスピードを格段にアップさせ増田。
紡糸工程はさらに技術が進展します。リチャードアークライトは、水力紡績機を製作し、より丈夫な糸を作成することが可能にしました。
その後、ジェニー紡績機と水力紡績機の弱点を補ったミュール紡績機が出来上がることで、インド産綿布の品質と同等のものが生産できるようになりました。
これにより、インドから綿布を輸入していたのが、綿花を輸入し、イギリスで加工するという流れが出来上がりました。
また、綿布は毛織物と比べると軽くて洗濯が容易でした。そのため、キャラコと呼ばれるインド産綿布は、イギリスで大流行しました。
奢侈禁止令の廃止
1700年と20年に奢侈禁止令が出されて綿布の使用を禁止されることもありました。この背景には毛織物産業という既存産業が既得権益となっていた点があります、しかし、国産技術でインド産綿布に対抗できるようになっていた1774年には奢侈禁止令は廃止されることになった。
製鉄業の技術革新
産業革命以前の製鉄は木炭を使用していました。しかし、木炭は高コスト。そこで、木炭製鉄から石炭製鉄への転換を目的とした技術革新が進展しました。
製鉄業における技術革新は
製鉄工程→製錬工程
の順番で起こりました。
製鉄工程の技術革新を起こしたのはエイブラハムダービー1世です。彼は、石炭から取り出すことのできるコークスという素材を木炭の代わりに使用することで実現しました。
1708年にシュロップシャーの製鉄所を入手して、そこでコークスによる製鉄をはじめました。コークスは木炭より安く、燃焼効率も良いので高炉をを大型化することができました。
しかし、ダービーが成し遂げたのは製鉄までした。鉄を作るには製錬という作業がなければ鉄として使い物になりません。
そこでヘンリーコートという人物がパドル法を開発。これは製鉄の過程で、鉄をかき混ぜる過程を取り入れることを指します。これにより不純物が製錬中に混じることがないようにした。
さらに、圧延法という方法も開発し特許を取っています。圧延法はのちに説明する蒸気機関を利用した圧延機を利用して実現することができました。
蒸気機関の誕生
“蒸気機関の発明は、産業革命において大きな役割を果たしました。
例えば鉄道です。イギリスでは、1825年にストックトンとダーリントンとの間で最初の近代的鉄道が営業が開始しました。その後、1830年のリバプールマンチェスター鉄道の開通をへて、1830年代から40年代に爆発的に普及します。
蒸気機関は、トマス・セィヴァリーが発明しました(1698年)。当初彼が発明した蒸気機関は、揚水用のポンプとして鉱山で使用されました。
1712年には、ニューメコンによっても蒸気機関が製作されていました。仕組みがセィヴァリー型のものとも違います。ニューメコン型蒸気機関は18世紀中に500台ほど製作され、鉱山の揚水だけでなくロンドンの水道会社でも利用されました。
しかし、ニューメコン型の蒸気機関は石炭を大量に使うことになるため、燃費が悪かったのです。そこで、さらに蒸気機関に改良を加えたのがジェーム・スワットです。
グラスゴー大学でなんとかして作業場を得た彼は、そこで新しい蒸気機関を生み出すことになりました。これにより、課題であった石炭消費の効率性が大幅に改善されることになりました。
最終的な改良の結果燃料消費の効率は5倍ほどになったと言われています。
これらの蒸気機関の発展はのちの鉄道や蒸気船が生み出されました。
産業革命によって繁栄した地域
産業革命期のイギリスでは工業化は地理的に限られた地域に絞られました。ある地域での発展が他の地域に伝播していくということはありませんでした。
18世紀から19世紀を通して工業化が進んだのが
- ランカシャー
- ヨークシャーのウェストライディング
- スタッフォードシャー南部でした。
です。
これらの地域が発展した理由には
- 技術・知識
- 原材料
- 人的資本
へ容易にアクセスできることが挙げられます。
これにより、産業がある程度集積し技術の集積が起こっていたのです。
ランカシャー
ランカシャーは産業革命期における綿紡績の中心地となりました。綿花はインドからの輸入に頼っていたため、リヴァプール港とマージー川によってある程度内陸まで河川交通を利用することができました、また、ペナイン山脈によって水流を確保することができたことで紡績業が盛んになりました。
他産業も綿業の発展に刺激されて立地するようになりました。機械製造業や石炭業、商業金融の発展が見られました。
ヨークシャー
ヨークシャーのウェストライディングには、伝統的な手工業としての羊毛を使った毛織物工業がありました。これらの機械化は綿業からはかなり遅れます
スタンフォードシャー
スタンフォードシャー南部には豊かな炭鉱があり、鉄加工を主とした製造業の中心地となりました。製鉄業の発展により機械製造業や武器製造業、化学産業なども発達しました。また近くには商業中心地のバーミンガムが立地していたことにより有利な地点となっていたました。
さいごに
最後まで読んでいただきありがとうございます!西洋経済史に関する理解は深まったでしょうか?他にも西洋経済史の記事は以下にまとめてあるのでぜひ読んでみてください。
また最後におすすめの書籍を紹介したいと思います。まず、この記事は以下の書籍をもとに執筆しています。有斐閣アルマの「西洋経済史」は非常にベーシックな内容となっているので、学ぶ上で非常にためになると思います。
ただ難易度がやや高いので、もう少し難易度を下げたい方は以下の書籍もおすすめです。この「やり直す経済史」は日本に関しても言及しているので、親近感を持って経済史にのぞむことができます。
また、これまでの経済史は西洋中心の考え方になっています。しかし、世界にはアジアやイスラーム地域に関しては忘れられがちです。そこで「グローバル経済史入門」は、東南アジアなども含めたグローバルな経済史を描き出しており、非常に学びが深いです。ぜひ読んでみてください。