哲学

マルティン・ハイデガーとは?彼の主著『存在と時間』を中心にわかりやすく解説。

哲学

アリストテレス、ヘーゲル、カントが積み上げてきた西洋哲学。マルティン・ハイデガーは、過去の西洋哲学の根本的な問いが「存在とは何か?」であったと主張します。

我々の日常生活を徹底的なまでに抽象化し「存在」とは何かを明らかにし、これまでの西洋哲学に激震を走らせたのがハイデガーです。特に、その激震を走らせたのが未完の著作『存在と時間』(1927年)でした。

そこで、この記事ではハイデガーその人と、彼の思想が凝縮された『存在と時間』についてわかりやすく解説していきます。最後までお付き合いいただければと思います。

この記事で得られること
  • マルティン・ハイデガーその人について知ることができる
  • ハイデガーの主著である『存在と時間』について知ることができる

マルティン・ハイデガーについての概要

ハイデガーの生涯

マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger, 1889年9月26日 – 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者です。彼は、フッサールを師に現象学に大きな影響を受けた人物です。また、ニーチェなどの実存主義やカント、ヘーゲルなどにも精通した人物です。

ハイデッガーは、1889年に帝政ドイツ南西部のバーデン大公国ウュルテンベルク州の小村で生まれました。彼は、1909年にカトリック系のフラブルク大学神学部に入学しますが、途中で哲学部に転部します。指導教官は当初シュナイダーと言う人物でしたが、途中から現象学を打ち立てたフッサールに支えるようになります。

その後、1919年にフッサールの助手をしながらカトリック系のフラブルク大学の教壇に立つようになります。1922年にはナトプル報告と呼ばれる『存在と時間』の元になる論文も執筆しています。

しかし、フライブルク大学でのポストに恵まれず、プロテスタント系のマーブルク大学の助教授として1923年から働き出します。この時期はハイデガーは論文を出していませんでした。ただ、この頃からプロテスタント系の人たちと距離を置くようになり、形而上学への傾倒を深めていきます。

そうした中で執筆されたのが『存在と時間』(1927年)でした。これによりハイデガーは大きな名声を手に入れることになります。そして1928年には、師匠であるフッサールの退任をきっかけにフライブルク大学の正教授のポストを手に異れることになるのです。

1929年の世界金融恐慌によって失業率が急増し、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)がドイツ国内で勢力を伸ばし始めます。そうした中で、ハイデガーはナチス党へと加担する動きを見せ始め、戦後大きな論争を巻き起こしました。

『ナトルプ報告』と『存在と時間』

『ナトルプ報告』による既存の存在論への批判

『ナトルプ報告』を通して、アリストテレスなどのギリシャ哲学における存在論への批判が行われ、ハイデガー独自の存在論を展開されました。アリストテレスから始まりカントに至るまで、「存在は制作されたもの」と言う認識があるとハイデガーは指摘します。

逆にアリストテレス・プラトンのギリシャ哲学以前までは、存在は制作されたものではなく、存在は生成(生まれ出てくる)すると言う考えでした。これを「存在の忘却」とハイデガーは表現しています、。

『ナトルプ報告』を通して、ハイデガーは「存在は制作された」とい西洋哲学の思想を批判し乗り越えようとしたのです。

『存在と時間』の構成

『ナトルプ報告』でのギリシャ哲学以降の西洋哲学の存在論への批判をさらに広げる形で展開されたのが『存在と時間』です。『存在と時間』では純粋に「存在とは何か?」という点に関して淡々と述べられます。

当初、『存在と時間』は、以下のような構成で執筆が進む予定でした。

  • 第1部 現存在の解釈と時間の解明
    • 第1編 現存在の基礎分析
    • 第2編 現存在と時間性
    • 第3編 時間と存在
  • 第2部 存在論の歴史の現象学的解体
    • 第1編 カントの時間論について
    • 第2編 デカルトの「我あり」と「思う」について
    • 第3編 アリストテレスの時間論について

結局、書かれたのは第1部の第2編現存在と時間性まででした。しかし、「存在一般の意味」を解き明かすには至りませんでした。とはいえ、現存在というものに対する緻密な分析は、哲学界に大きな衝撃を与え、のちの哲学の潮流を大きく変えることになります。

ハイデガーの研究手法:現象学

まず、ハイデガーは現象学の祖であるフッサールの影響を多分に受けた人物でした。そのため、ベースには現象学があり、ハイデガーはそれを批判する形で理論を展開しました。

ハイデガーの現象学とフッサールの現象学は、そもそも目的が違います。フッサールは学問を基礎づけるための方法として現象学を考えていました。一方の、ハイデガーは人間の在り方を探究するための方法として現象学を考えていた点が異なります。

まずフッサールは近代哲学側に与しています。そのため、意識や自我を中心とした現象学の位置付けでした。しかし、ハイデガーはのちにも述べるようにギリシャ哲学〜近代哲学の批判を目的に現象学を研究手法として取り入れる点が違います。

『存在と時間』の趣旨:存在とは何か?

存在への問い

『存在と時間』は以下のプラトンの『ソフィステス』の引用から始まります

「『ある』という言葉でもってわれわれが一体なにを思い描いているのか、という問いの答えを、今日われわれは持っているだろうか? われわれはいままでその答えを持っていると思い込んでいたのに、いまではまったく心もとなくなっている。」

『存在と時間』は、ある(Sein)ということはどうゆうことなのか、という点を明らかにする事を目的とした著作です。また、ハイデガーは「存在者」と「存在」の違いを明確にしています。

例えば、コップは存在者です。その他に生物、家具等も存在者になります。しかし、これらが「ある」という点は存在者とは異なるものです。ハイデガーが探求の対象としたのはこの「ある=存在」を対象としました。

現存在(=人間)の分析

ハイデガーは、存在についての解明w

世界=内=存在

共同存在

内存在

現存在と時間の関係性

時間

歴史

さいごに


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