ポスト構造主義と言われる哲学の潮流の代表格であるジャックデリダ。彼の主要理論には、脱構築や差延があります。
彼の理論は、哲学だけでなく社会学や歴史学等の学問領域を超える形で影響を及ぼしました。
そこで、この記事ではジャックデリダその人と、彼の主要理論である脱構築と差延という理論についてわかりやすく解説していきます。最後までお付き合いいただければと思います。
ジャック・デリダの生涯
ジャックデリダ(Jacques Derrida, 1930年7月15日 – 2004年10月9日)は、1930年生まれの哲学者です。アルジェリア出身のユダヤ系フランス人です。脱構築やエクリチュールで知られており、ポスト構造主義の一人とされています。
以下でも解説しますが、デリダについてまとめると以下のようになります。
- 「脱構築」により階層的二項対立を批判した哲学者
- 「自己同一性」を批判し「差異」に味方した哲学者
ジャックデリダの思想
脱構築と差異
特にデリダは、「脱構築」という理論をもとに概念の二項対立を相対化しました人物です。二項対立とは、反対の意味や性質を持つ概念が対立しているという論理です。(のちに解説します)
さらにデリダは、自己同一性の対極に位置する「差異」に味方をする哲学者でした。自己同一性に回収されない部分に対して常に気を遣うことを忘れない哲学者だったのです。
デリダの著作
彼の研究成果は、エトムント・フッサールの現象学に関する研究から出発から始まり、以下の哲学者を批判的に継承し発展させたことにあります。
- フリードリヒ=ニーチェ
- マルティン・ハイデッガー
また彼の研究業績は哲学領域にとどまらず、文学や建築、演劇にも影響を与えたことで知られています。ジャックデリダの思想を表した著作としてまず以下の3つが挙げられます。
これらの著作においてのちに解説する「脱構築」等のデリダの基礎となる理論が描かれました。特徴的なのが、過去の哲学者の著作を徹底的にまで読み、そこに潜む階層的な二項対立を暴き出し脱構築したことにあります。いわば、哲学界における「読みの達人」でした。
ロゴス中心主義への批判
デリダは、プラトン以降の哲学にあるロゴス(理性)中心主義や自己同一性優位の思考に対して批判しました。
プラトンからハイデガーに至るまでの哲学理論の前提には、自己同一性を前提としていると指摘します。自己同一性を前提とした哲学理論を「現前の形而上学」とデリダは呼びます。
現前性は、簡単にいうと「目の前にある」ということですが、これは人には自己が一つであることで成立します。これを現前性の形而上学として批判します。その結果、生み出されたのが「脱構築」という概念でした。
広義の脱構築について
脱構築とは、広義にいうと言葉の内側から階層的な二項対立を崩していく手法のことです。そもそも、二項対立とは二つの概念が矛盾もしくは対立の関係にあることを指します。
例えば、西洋と非西洋、男と女といったような二項対立が想定されます。近代的な価値観を前提に置いた場合、一方が優位で他方が劣位と階層的に判断されます。
こうした価値観に対して、脱構築は、「本当にそうなのか?」という批判的態度をとりつつ、以下のようなプロセスを取ります。
- マイナス側が優れているような理論を考えだし「転倒」を起こす
- 二つの概念がどちらも主導権を取ることなく、優劣つけないように判断を一旦留保する
ただ、二項対立の価値の転倒を起こすだけでなく、最終的に優劣をつけずに判断に留保をつけることが最も重要な点です。
ジャックデリダの主要理論①:パロールとエクリチュール
この脱構築を、さまざまな哲学者の著作から行なっていきました。その中で、デリダは言語構造であるパロールとエクリチュールの二項対立から批判しました。
パロール(parole)とエクリチュール(écriture):階層的二項対立への批判
デリダは、「パロール=話し言葉(音声言語)」と「エクリチュール=書き言葉(文字言語)」の階層的二項対立に対して批判を加えました。
- パロール(parole)=話すこと・話し言葉・音声言語
- エクリチュール(écriture)=書くこと・書かれた文字/文書・文字言語
パロールは、現前(目の前にある)するものであるため、常にエクリチュールに先立つとされています。それゆえに、パロールが特権性を帯びるようになる一方で、エクリチュール(書き言葉)は、従属的なものとして扱われます。
パロールが特権化される要因として、声(phonè)や音声を通して自分が話しているのを聞くことができるという経験から、より自己の意識を正確に反映されたものとして受け取られることにあります。一方でエクリチュールは、翻訳手段・補完手段として位置付けられます。
また、エクリチュールは誤読を生む可能性があり、パロールをかき乱す可能性のあるものとして扱われます。なぜなら、エクリチュールは基本的に、読む人や前提となる時代によって意味が変わる可能性がありうるのです。
原-エクリチュール:エクリチュールの復権
デリダは。優劣が決定不可能なエクリチュールの性質を原-エクリチュール(差延)と形容しました。原‐エクリチュールとは、私たちが日常で言語を用いるときに口に出される前の「語や概念になる以前のもの」のことを指しますです。
原-エクリチュールは、パロールといった自己同一的なものに回収されない差異や痕跡としての意味をなします。原-エクリチュールという痕跡を通して、テキストの起源を辿ろうとしても「真の意味」に辿り着くことはできないのです。
それゆえに、パロールやエクリチュールに原-エクリチュールが先立つと考えたのです。原-エクリチュールの決定不可能性が脱構築における、二つの概念がどちらも主導権を取ることなく、優劣つけないように判断を一旦留保することに繋がるのです。
ジャックデリダの主要理論②:「現前の形而上学」と「差延」
デリダは、差異に対すして味方をする哲学者です。彼が生み出した概念に差延(différance)があります。「差異」を意味するフランス語différenceの後半部分のeをaに変えてつくられた言葉であり、それによって「遅らせる」「延期する」という動詞的な意味が含まれています。
差延において重要なのが「差異」に時間的な要素が含まれている点です。例えば「私は私である」という例文があった場合、私(1)と私(2)は同じではないとデリダは言います。
主語としてとなる私(1)に対して、述語の私(1)は自身を客観視している点が異なり、少しばかり時間的な差が生まれます。
例えばk-1時点が対象化した私(2)だとすると、k時点が私は私と言っている私(1)、k+1時点がそれを聞く自分となります。このように、自己同一的と考えられる「私」でさえ差異が内包されているのです。
さいごに
結局、デリダは脱構築という言葉を通して、これまでの西洋哲学の常識を覆した人物です。
「脱構築とはそれ自身において、ある他者性への肯定的な応答であり、
インタビュー「脱構築と他者」(1981)より
この他者性こそが脱構築を呼び求め、召喚し、動機づけているのです」
「私は私である」という些細な言葉の中からも、自己には回収しきれない要素がある点を見出したデリダは本当に「読みの達人」だったと言わざるを得ません。
彼の理論は、最近では古くなりつつありますが、その輝きは未だに消えずに残っています。