この記事では南北戦争について分かりやすく解説します。これはアメリカ合衆国における最初の内戦でした。
奴隷制度賛成派の南部と反対派の北部が、産業の利害が絡み合いながら衝突しました。結果的に、工業化の度合いが高い北部が勝利し、のちの第二次産業革命へと繋がりました
南北戦争とは?

南北戦争は、1861~1865年に起こったアメリカ合衆国(北部)とそこから分離したアメリカ連合国(南部)と間の内戦です。
南部と北部の戦いは長期化しました。また、小銃の技術革新が進んだ時期に南北戦争発生したため、したため、殺戮の恐ろしさをまざまざと見せつけたものとなりました。
- 南北戦争とは1861~1865年に起こったアメリカ合衆国(北部)とそこから分離したアメリカ連合国(南部)と間の内戦です。
- 戦いは1865年4月に、北部諸州の勝利で終了。しかし死者数は諸説ありますが約62万人にまでのぼる
戦いは1865年4月に、北部諸州の勝利で終了。しかし死者数は諸説ありますが約62万人にまでのぼる、悲惨な結果となります。
南北戦争の背景と要因

南北戦争の原因として、
- 北部と南部の産業の違いによる貿易への考え方の違い
- 黒人奴隷解放に関する考えの違い
が挙げられます。
南部と北部の産業の違い:自由貿易と保護貿易
北部では米英戦争(1812年 – 1814年)による工業製品がイギリスから輸入されなくりました。結果として、国内での工業化が進展しました。

そのため、北部諸州は国内での工業を守るためには海外からの工業製品が入ってくることに対して批判的でした。つまり保護貿易を主張したのです。
産業革命によってイギリスでは綿業が発展し、綿花需要が高まりました。そこで南部諸州は、前近代的な大規模綿花栽培のプランテーションによって綿花需要に応えようとしていました。

そのため、南部は自国からの輸出をして利鞘を稼ぐ南部は自由貿易を主張したのです。
奴隷制度への南北の態度の違い
北部は、国内での工業化が進展していたため、労働力があくまで必要であり奴隷制は不要でした。そのため、人道的見地からも奴隷制反対の気運が高まっていました。
南部は、プランテーションで黒人奴隷を使って生産を行っていました。そのため、黒人奴隷の解放は南部の経済基盤の崩壊を意味します。そのため、南部ではあ奴隷制度の廃止に批判的でした。

- 北部は保護貿易、南部は保護貿易を主張
- 北部は、黒人奴隷解放に賛成、南部は反対
こうした背景の中、1854年に民主党を中心に、カンザスネブラスカ法が制定され、自由州(奴隷廃止)にするか奴隷州(奴隷制存続)するかは、住民が決めることになりました。
結果、血を流すカンザス(1854年〜1861年)という、奴隷制反対論者と賛成論者の武力衝突が起こりました。
この奴隷制賛成の態度の民主党に反対して作られたのが共和党政権でした。
南北戦争の推移

エイブラハムリンカーンの大統領就任と南北戦争簿勃発
1861年3月、共和党のエイブラハム・リンカーンが第16代アメリカ合衆国大統領に就任します。彼は黒人奴隷解放を主張していました。

奴隷制廃止論者のリンカーンが大統領になったことに反対した南部は、7州が合衆国を脱退し、南部諸州はジェファソン・デヴィスを大統領とするアメリカ連合国の建国を宣言しました。

同年の4月に南部の軍がサムター要塞を砲撃したことで、南北戦争の火蓋が切られました。
奴隷解放宣言
戦争が長期化する中でリンカーンは奴隷解放宣言を出します。その理由には、
ヨーロッパの世論を味方をつけ、いまだに奴隷制に執着している南部と、正義の近代的な北部諸州という印象を植え付けることが目的でした。

そうすることで、イギリスやフランスなどが南部諸州に味方する可能性を無くしたのです。結果的に国際世論は、北部が正しいという方向へ転換しました。
- 奴隷解放宣言の目的には、ヨーロッパ世論を味方につけて南部を孤立させる目的があった
- 国際世論は北部諸州に味方
グラント北軍総司令官
1864年3月、グラントが北軍総司令官に就任した際には、南軍の一部が合衆国首都ワシントンD.C.にまで迫るまでに追い詰められました。
しかし、戦争が長期化するにつれて、装備、人口、工業力など総合力に優れた北軍が優勢に立つようになっていた。結果1865年には南北戦争は北部の勝利で終わることになりました。
南北戦争の影響

奴隷制度の廃止
奴隷制度が廃止され、独立以来、対立を続けた南部・北部は事実上統一されました。
確かに、奴隷解放宣言により、南部の州で奴隷の扱いを受けていた黒人は解放されました。しかし、南部における黒人に対する差別や偏見はその後残り続けることになりました。
アメリカの更なる工業化と第二次産業革命へ
南北戦争によって、工業生産が一時的にストップしたものの、南北戦争により国家の経済基盤が北部中心の工業力に移りました。
国家の経済基盤が北部中心の工業力に移り、戦争前から始まっていたアメリカの工業化が進展し第二次産業革命へと繋がることになりました。
- 奴隷制度が廃止されたものの、南部では黒人への偏見や差別が残ったあ
- 北部に経済基盤が移動したため、工業化が進み第二次産業革命につながる
また、戦争前からアメリカ横断鉄道が北部には走っており、戦後はさらに鉄道網の拡大が起こりました。

さいごに

最後まで読んでいただきありがとうございます!西洋経済史に関する理解は深まったでしょうか?他にも西洋経済史の記事は以下にまとめてあるのでぜひ読んでみてください。
また最後におすすめの書籍を紹介したいと思います。まず、この記事は以下の書籍をもとに執筆しています。有斐閣アルマの「西洋経済史」は非常にベーシックな内容となっているので、学ぶ上で非常にためになると思います。
ただ難易度がやや高いので、もう少し難易度を下げたい方は以下の書籍もおすすめです。この「やり直す経済史」は日本に関しても言及しているので、親近感を持って経済史にのぞむことができます。
また、これまでの経済史は西洋中心の考え方になっています。しかし、世界にはアジアやイスラーム地域に関しては忘れられがちです。そこで「グローバル経済史入門」は、東南アジアなども含めたグローバルな経済史を描き出しており、非常に学びが深いです。ぜひ読んでみてください。