経済史

マーシャルプランとは?わかりやすく解説。

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この記事では、マーシャルプランについてわかりやすく解説します。マーシャルプランは東西冷戦を経済的に深刻化させる要因となりました。

この出来事は、戦後の世界を理解する上で非常に重要となっています

また、この記事は以下の書籍をもとに執筆しています。あわせてお読みください

西洋経済史の記事一覧

古代〜中世:封建制下のヨーロッパ経済
初期近代(近世)①:大航海時代
初期近代(近世)②:国家形成の時代
近代①:なぜ西洋は最初に経済成長できたのか?
近代②:産業革命の時代
近代③:第二次産業革命の時代
現代:第一次世界大戦〜第二次世界大戦
現代:ブレトンウッズ体制
現代③:新自由主義の台頭と冷戦の終結

マーシャルプランの背景:冷戦のはじまり

冷戦の始まりとしては、ドイツ第二次世界大戦中の1945年のヤルタ会談と言われています

1946年にイギリスの前首相チャーチル「鉄のカーテン」演説をおこない、ソ連の東欧諸国囲い込みを批判し、自由主義陣営の結束を呼びかけました。

ウィンストン・チャーチルの有名な演説「鉄のカーテン」が行われた日 - 今日のことあれこれと・・・
チャーチルによる鉄のカーテン演説

少なくとも1947年頃から冷戦という言葉が使われるようになります。

こうした東西の分裂に拍車をかけたのがマーシャルプランでした。

マーシャルプランとは

マーシャルプラン(欧州復興計画)とは?

東西冷戦を経済的に分裂させた出来事がマーシャルプランです。

特に第二次世界大戦後、ヨーロッパの産業は大打撃を受けます。復興のために多くの復興資材が必要となっていました。

そこで、資材を海外から輸入する必要があったのですが、ドルが不足していました。ブレトンウッズ体制の成立で貿易にはドルが必要だったことが背景にあります。

そうした中で、第二次世界大戦の影響を大きく受けなかったアメリカは、西側諸国への支援をする必要があったのです。

ジョージ・マーシャルによる欧州復興計画の発表

そこで1947年にジョージ・マーシャル米国務長官は、ヨーロッパ全土に対して大規模な援助を行う方針を発表します。

1947年から52年にかけて総額130ドルに上る援助をヨーロッパに対して行いました。

マーシャル・プラン - Wikipedia
ジョージ・マーシャル

これによりヨーロッパのドル不足を解消し、戦時需要の消滅しつつあったアメリカの国内産業を潤すことになりました。

当初は東ヨーロッパも範囲に含まれていたのですが、ソ連が東ヨーロッパへの影響力を増しており、ソ連側の諸国はマーシャルプランへの受け入れを拒絶しました。

CHECK
  • ヨーロッパ諸国は戦災によってドル不足となって復興資材を輸入することができなくなった
  • マーシャルプラン:総額130ドルに上る援助をヨーロッパに対して行いました。
  • ソ連側の諸国はマーシャルプランへの受け入れを拒絶しました。

マーシャルプランへの対抗馬:コメコン

コミンフォルムとコメコン:社会主義諸国の結束

マーシャルプランを東ヨーロッパ諸国が拒否した背景には、ソ連がマーシャルプランに対して警戒をしていたことがあります。

そこで1947年にコミンフォルム(共産党情報局)を設立し、東側諸国に対する締め付けと監視を強化してました。さらに、マーシャルプランに対決する形で、1949年コメコン(経済援助相互会議)をソ連圏に成立させています。

マーシャルプランは東西の経済的分裂の引き金に

結果として、マーシャルプランは、資本主義諸国の西ヨーロッパ諸国に限定され、受け入れ国は西ヨーロッパの16カ国になりました。

一方で、東ヨーロッパはコミンフォルムやコメコンの制度に内包されることになります。結果として、ヨーロッパの東西対立が経済的側面で深めることになったのです。

CHECK
  • 東ヨーロッパはコミンフォルムコメコンの制度に内包されることに
  • マーシャルプランはヨーロッパの東西対立は経済的側面で深めることになったのです。

冷戦の固定化と拡大

1948年以降、ソ連の核開発の進展によって東西の対立は先鋭化し、先ほどのマーシャルプランをきっかけに経済的な対立を深めていきました。

その中で、冷戦はドイツの東西分裂や中華人民共和国の建国のように、拡大していきました。

ヨーロッパの東西分裂:軍事同盟の成立と東西ドイツの分裂

マーシャルプラン以後、東西対立は深まることになります。西側では軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)が1949年に成立し、ソ連への包囲網を構築していきます。

1955年には対抗して、東側の軍事同盟であるワルシャワ条約機構が東側で成立しています。

ドイツは1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し、東西の分断体制が固定化されました。さらに、ベルリンの壁が1961年に建設されドイツの東西分裂は根深いものになっていきました

アジアの東西分裂:中華人民共和国の成立と朝鮮戦争

アジアにおいては1949年に共産党政権である中華人民共和国が成立しました。これにより東西冷戦はアジアにも波及していくようになります。中国とソ連は中ソ友好同盟相互援助条約を締結し結束を深めました。

1950年の朝鮮戦争アメリカと中国が参戦し、事実上両陣営の直接対立となりました。

朝鮮戦争
朝鮮戦争

1951年、サンフランシスコ講和会議会議で主権を回復した日本は、アメリカと日米安全保障条約を締結して軍事同盟を結び日本の再軍備を進めました。

アメリカは同様に米比相互防衛条約・ANZUS条約などで太平洋に同盟網を拡げていきました。

軍拡競争と宇宙開発の時代へ

冷戦の間、ソ連とアメリカは、直接的に戦火を交えることはありませんでした。しかし、冷戦の期間である第二次世界大戦末期から1980年代終わりまでに、

  • 軍備の拡大や核開発競争
  • 宇宙開発競争

が繰り広げられました。

また、この対立によってドイツの分断、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの局地的な戦闘が発生することもありました。

CHECK

冷戦はアジアにも波及して、中華人民共和国と朝鮮戦争を招いた

さいごに

最後まで読んでいただきありがとうございます!西洋経済史に関する理解は深まったでしょうか?他にも西洋経済史の記事は以下にまとめてあるのでぜひ読んでみてください。

西洋経済史の記事一覧

古代〜中世:封建制下のヨーロッパ経済
初期近代(近世)①:大航海時代
初期近代(近世)②:国家形成の時代
近代①:なぜ西洋は最初に経済成長できたのか?
近代②:産業革命の時代
近代③:第二次産業革命の時代
現代:第一次世界大戦〜第二次世界大戦
現代:ブレトンウッズ体制
現代③:新自由主義の台頭と冷戦の終結

また最後におすすめの書籍を紹介したいと思います。まず、この記事は以下の書籍をもとに執筆しています。有斐閣アルマの「西洋経済史」は非常にベーシックな内容となっているので、学ぶ上で非常にためになると思います

ただ難易度がやや高いので、もう少し難易度を下げたい方は以下の書籍もおすすめです。この「やり直す経済史」は日本に関しても言及しているので、親近感を持って経済史にのぞむことができます。

また、これまでの経済史は西洋中心の考え方になっています。しかし、世界にはアジアやイスラーム地域に関しては忘れられがちです。そこで「グローバル経済史入門」は、東南アジアなども含めたグローバルな経済史を描き出しており、非常に学びが深いです。ぜひ読んでみてください。


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