「神の見えざる手」で有名なアダム・スミスをわかりやすく解説

経済学

こんにちは。この記事では、「神の見えざる手」で有名な経済学者アダムスミスについて解説していきます。
この記事は、ビジネスマンとしてもっと教養をつけたいという人向けに書いています。

そうした中で、アダムスミスは「神の見えざる手」で有名なアダム・スミスについての概略についての概略をつかむことができます。

よろしければ最後まで読んでいってください。

アダムスミスについて

彼の人生


 アダム・スミス(Adam Smith、1723年6月5日 – 1790年7月17日)は、経済学の始祖とも言われている人物で、彼は、グラスゴー大学で道徳哲学の教授をしていました。

引用:Wikipedia

 「経済学者じゃないのか?」と思ったかたもいらっしゃると思いますが当時のヨーロッパには「経済学」というものはありませんでした。そのため、彼の著作には『国富論』という経済学の本だけでなく、『道徳感情論』という「人の心」について書いた本もあるのです。

時代背景

彼のが生きていた当時のヨーロッパは
・重商主義の支配
・産業革命

という時代状況でした。
 重商主義とは、政府が貿易を管理する経済体制のことを指します。民間の自由な商売を規制でがんじがらめにしてるような政策のことです。
 一方で、当時は技術の発達がめざましく、民間の活力によってイギリスは大きく経済発展をしていました。こうした中で、スミスは民間の旺盛な活力の結果生み出される経済発展から民間の可能性を見て撮ると一方で、重商主義という政府が市場に対して口を出す政策に対して批判的に見るようになったのです。

引用;
https://media.moneyforward.com/articles/709

そして、その結果生み出されたのが「神の見えざる手」と言えるでしょう。以下では、その彼の生み出した理論について説明をしていきます。

彼の思想

 続いて2つ彼の著作の解説を通して彼の思想を解説しようと思います。
『道徳感情論』
『国富論』
です。そして、彼の思想が結晶となったのが『国富論』になります。そして、『道徳感情論』は彼の思想の出発点に位置付けることができるのです。

それでは、2つの著作を通してスミスの思想を見ていきましょう。

『道徳感情論』

 『道徳感情論』は、1759年にスミスが道徳哲学の教授をしている時に書かれた本です。


この本はの書かれた目的としては、人間がなぜここまで社会秩序を築き上げることができたのか、その理由を解明するために書かれました。そして、その理由とは「共感(sympathy)」であるとスミスは論じています。


 人間とは、他人の気持ちと行動に対して「共感」しようとする生き物です。そして、他人の気持ちを自分の気持ちと照らし合わせます。
 その結果、他人の行動や気持ちが第三者から「賞賛」されるものか「非難」されるものなのかを(是認と否認)確認するのです。

 それを繰り返しすことにより、「公平な観察者」という公平な第三者の視点に立つことが可能になるのです。そして、人は「非難」されるような行為をしないように努力した結果、「義務」の心が生まれてくるのです。結果として法や政府などの秩序を生み出していくのです。

共感を繰り返すことで社会秩序を見いだすことを明らかにした『道徳感情論』という本でしたが

『国富論』

経済的自由主義的

 この『国富論』でスミスは政府の市場に対する規制を無くして民間に自由に競争をさせることが、高い経済成長率に繋がると説きました。

重商主義批判

 そもそも、彼の思想の前提に
・国富=生産物
・労働価値説
という2つの考え方を持っていました。そして、この前提は「重商主義」という思想に対する批判から生み出されたものでした。

「重商主義」とは、16〜18世紀のフランスやイギリスなどの国で支持されていた考え方です。
この考え方では、自分の国に「富(=金)」が入ってくるように管理経済体制をしくます。
そして、輸入には高い関税をかけて輸出を優先し、貿易収支をとにかく黒字にすることで、自国を豊かにするというものでした。

労働価値説

 まず、彼の重商主義批判の1つが「労働価値説」という考え方になります。重商主義は国が豊かになるのは人がモノを「交換」する生き物であるからだとしています。ですが、交換が行われるには価値の基準がなければなりません。
 そこで持ち出されるのが、モノに投下される「労働力」です。商品の価値とは労働者が投下したコストと同じであるとしたのです。

国富とは生産物である

2つ目の重商主義批判が「国富」とは「生産物」であるというスミスの考え方です。

当時の重商主義の政府関係者は

「国の富」=「金」

として捉えていました。
 だから、とにかく国に「金」という富を入れるために、貿易収支を黒字にすることが、自国の富を増やすことに繋がると当時の政府関係者は考えたのです。

しかし、スミスは富とは「生産物」と考えました。
そして、その生産物の価値が、投下した「労働力」の量によって決まると考えたのです。

分業論

では、これまで述べてきた富である「生産物」を増やすことが、国の富に繋がることがわかりました。ではその生産物を増やすにはどうすれば良いのか?

それが、「分業」です。分業とは「複数の人員が役割を分担して財(モノ)の生産を行うこと」です。ただ漫然と作業をするのではなく、「役割を分担」して作業をするのです。

スミスは、ピン工場の例を出して、分業を論じています。

私はこの種の小さな製造所を見たことがあるが,そこでは10人しか雇われておらず,そのうちの何人かは二つか三つの別々の作業をしていた。しかし,彼らはきわめて貧しく,必要な機械もいいかげんにしか備えていなかったのに,精を出して働いたときには,一日に約12ポンドのピンを自分たちで造ることができた。1ポンドで中型のピンが4000本以上ある。それだからこの10人は,自分たちで一日に4万8000本以上のピンを造ることができたわけである。したがって各人は4万8000本の10分の一を造るわけだから,一日に4800本のピンを造るものと考えられていいだろう

スミス『国富論』第5編第1章水田訳,pp.pp.23-26,

 引用では、機会もろくにない小さな製造所が舞台となっています。そして、そこでは10人の働き手です。しかし、この程度の規模でも「役割を分担する」して分業をすることで4万8000本ものピンを作成することができるのです。

 このように、特定の専門知識や技術を持った人物がそれぞれ分業して働い方が生産性が高まり、富である生産物が多く生み出されることになるのです。

このように、分業をすることで富が増えることになります。そうすることで人口が増え、市場規模が大きくなり更に分業が進展することになり、また生産性が上がり富が増えるというサイクルが生み出されるのです。

神の見えざる手

このように、分業が進展することで加速度的に富が増え、それにより市場規模が拡大します。

そのため、富を拡大するために人々は利己的に商売をしても、大きな「富」が全体にもたらされることになるのです。

それが、「神の見えざる手」なのです。

徳と共感

 このように、自由に商売をさせておけば、勝手に大きな「富」を獲得できることがわかりました。

しかし、ここで、人を騙したりしても自由に商売しても良いのでしょうか?

 ここで、スミスが以前に『道徳感情論』で出した内容が生きてくるのです。それが「共感」でした。「共感」によって、人の気持ちにたつことで「公平な観察者」という境地に達することになります。

 その結果「徳」というものが人々の間で生まれることになるのです。そうすることで、必然的に「徳」に反するような人間は市場から淘汰されることになり、結果として「神の見えざる手」は有効に働くのです。

まとめ

「神の見えざる手」とは、富を拡大するために人々は利己的に商売をしても、大きな「富」が全体にもたらされることを指します。

そしてそのためには、
・分業が進展し生産性が高まり市場規模を上げる
・「共感」の繰り返しによって「徳」が生まれる
ということが必要になるのです。

コメント

  1. […] […]

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